佐藤琢磨は、2002年にF1デビューを果たしたマシン『ジョーダン・ホンダ EJ12』について語った。
佐藤琢磨は、ホンダエンジンを搭載するジョーダンのレギュラードライバーとして2002年シーズンのF1に参戦することが決定し、史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。シーズン一年目のポイントは日本グランプリでの決勝5位・2ポイントのみに留まった。
「僕にとっては忘れられない、本当に特別なクルマです。でも、最初の出会いは印象は決して良くなかったです、正直言って。とても乗りづらくて」と佐藤琢磨は語る。
「机上の計算では凄いパフォーマンスを出すクルマだったんですね。僕らはダウンフォースって呼びますけど、空気の流れで車体を地面に押さえつけるわけですが、それを究極のかたちで最初に表現した最初のクルマだと思います」
「サクペンションの付け根は低いですが、そこから非常に高いところに車体のノーズがあるんですね。これはどういうことを意味しているかというと、より多くの空気を前面で取り込んで、それを圧縮させて外に後ろから吐き出すと。そうすることによって、気圧の速度を上げることによって、気圧が低くなって、ダウンフォースが増えるんですけど、ものすごく極端なんですよね」
「それをやったことによって、まず空力特性が安定しないということと、物理的な剛性不足からハンドリングの不安定さ、この二つがとてつもなくドライバーを悩ませた一台です」
「そのジェットストリームのような気流がさらに横から抜けると。ヘルメットの真横に300km/hの気流が流れると、それはデザインとしては斬新で凄い試みだと思うんですけど、それをやっちゃたNASAのロケット開発から来たデザイナーが作ったクルマなんですね」
「最初それを僕とチームメイトのジャンカルロ・フィジケラは非常に苦労したんですけど、さすがジョーダンのエンジニアがシーズンを追うごとに非常に良くしてくれて、鈴鹿では本当に信じられないようなパフォーマンスで自身の初入賞となる5位を支えてくれたマシン。最後の最後で大好きになったクルマ。でも、ある意味、苦を共にしたマシンであり、自分のF1デビューであり、鈴鹿に初めて母国グランプリとして帰ってきた。それは憧れてたあのPowred By Hondaのあの黄色いキャメルロータスのマシンと同じイエローで、しかも自分が憧れてたアイルトン・セナと同じ予選7番手からスタートしたっている。本当いろんなストーリーが最後このマシンには降り注いでいて、そんなマシンなので今見るととても懐かしいですし、でも、至る所で物凄い挑戦をした非常にユニークなマシンだなって感じますね」
ジョーダン・ホンダ EJ12の開発について佐藤琢磨は「役に立たないことはないですね。自分のなかで無駄になったというのはたぶん一つもないです」と語る。
「ありとあらゆる条件のなかでベストを尽くすというのが、僕ら挑戦者の立場ですし、レースドライバーとしての引き出しっていうのは増えましたけど、非常に多くのある意味通らなくてもよかった苦労をさせていただいたクルマ。でも、逆に言えば、そういうひとつひとつっていうものが僕自身をその後作り上げていった可能性があるので、今はこのEJ12、ジョーダン・ホンダにとっても感謝しています」
2020-04-04 14:49:20Z
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