男子の仙台育英1年生アンカー、吉居駿はたすきを受けた時、笑顔を見せる余裕があった。前を行く首位倉敷との差はわずか5秒。「楽しみだった。この差なら逆転しないといけない」。2キロすぎから並走が続いたが、トラック勝負にそなえた余力は十分だった。
勝負強さを買われ最終走者に抜てきされた。真名子監督は「スパートのタイミングは任せていた。彼ならやってくれる」。残り300メートル付近でギアを上げ、左手を突き上げゴールに飛び込んだ。
3区を走った兄でエースの吉居大がまさかの区間8位に沈んだ。この時点で倉敷とは1分以上差をつけられたが、6区の留学生ディラングが区間記録を更新して吉居駿につないだ。後半勝負の采配が的中し、「適材適所の配置に選手が応えてくれた」とたたえた。
東日本大震災翌年の2012年。当時の監督の退任に伴い、男女の主力が集団で豊川(愛知)に転校した。大東大時代、箱根駅伝で区間賞を獲得した真名子監督が再建を託されたが、その年に連続出場がストップ。「力不足を感じた」と振り返る屈辱から7年を経て、名門復活に導いた。「先輩たちがたすきをつないでくれたおかげで、今がある」。栄冠を勝ち取り、目には光るものがあった。
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2019-12-22 09:33:52Z
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