マクラーレンの2005年F1マシン『MP4-20』は、間違いなく最速マシンだったが、同時に信頼性の脆さを抱えた“ガラスのマクラーレン”というフレーズを象徴する一台だった。
マクラーレン MP4-20は、当時のテクニカルディレクターであるエイドリアン・ニューウェイ(現レッドブル)のアイデアが満載された攻めた一台だった。フロントサスペンションの配置はモノコック下端にロアアームを直接装着した“ゼロキール”方式を初採用。翌年以降多くのチームが採用し、現在のF1マシンのトレンドとなっている。
また、インダクションボックスの低い地にツノのような形をした通称“ホーンウイング”を装着。マシン後方の気流を整え、リアウイングのダウンフォース発生量を増加させる手法の先駆けとなった。
そして、マクラーレン MP4-20の速さは本物だった。シーズン中に12回のファステストラップを記録。19戦中10勝と2005年のF1世界選手権で最多勝利を挙げた。
速さの象徴的なレースが第18戦日本GPだった。キミ・ライコネンは予選でタイムアタック直前に雨が降り出すという不運に見舞われ17番手スタートとなるが、決勝のオープニングラップで12番手まで順位を上げると、怒濤の追い上げを見せ、ファイナルラップの1コーナーでジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)をアウトからオーバーテイクし優勝を果たすという見事なレースを展開した
だが、その反面で信頼性敵に脆いマシンでもあった。メルセデス・エンジンは信頼性にかけ、エンジンブローによる3回の10グリッド降格、決勝での2回のエンジンブロー、メカニカルトラブルによるリタイヤがあった。
第7戦ヨーロッパGPでは、キミ・ライコネンが首位を走行していたファイナルラップに左フロントサスペンション破損によりリタイア。タイトルを争うフェルナンド・アロンソに優勝を許した。
キミ・ライコネンは、5回のポールポジション、年間最多タイ記録の10回のファステストラップ、チャンピオンを獲得したフェルナンド・アロンソと同数の7回の優勝を飾ったが、アロンソから22ポイント差のランキング2位でシーズンを終えた。7勝はワールドチャンピオンを獲得できなかったドライバーがーズン中に挙げた勝利数としては当時の最多タイ記録だった。マクラーレンとしても8勝のルノーに対して10勝と上回ったが、最終的に9ポイント差で2位となった。
また、ヨーロッパにおけるタバコ広告が禁止になった2005年7月31日にウエストがタイトルスポンサー契約を終了。第13戦ハンガリーGP以降はドライバーネームとジョニー・ウォーカーのロゴがマシンに描かれた。
2020-04-23 03:18:24Z
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