横浜FCは18日、元日本代表MF中村俊輔(44)が今季限りで現役引退することを発表した。俊輔は既にB級コーチライセンスを取得済み。第2の人生は、指導者としてスタートする。

クラブを通じて「今シーズンをもち現役から退く決断をしました。幼稚園のときにサッカーボールを蹴り始めてから、40年もの月日が経ちました。はじめは、楽しいという思いだけで始めたサッカー。そのサッカーが仕事となり、プロサッカー選手として26年間も過ごすことができました。長いサッカー人生の中で、幾度となく苦悩や挫折がありましたが、いつも誰かが自分のことを支えてくれ、背中を押してくれました。一緒に戦ってくれたチームメート、指導をしてくださった監督・コーチ、ケガの治療やケアをしてくれるドクター・トレーナー、クラブに携わっていただいた方々、そして、いつも熱い応援をしてくださるファン、サポーター、すべての皆様に感謝申し上げます。本当に多くの支えがあったからこそ、これまでサッカー選手として闘い続けることができました。26年間多くのご声援、ご協力をいただき誠にありがとうございました」とコメントした。

19年7月から横浜FCの一員となった。キャリア初のJ2で同年は、10試合1得点。元日本代表FWカズ(55、三浦知良)らとJ1昇格を経験し、翌年の20年は10試合無得点、昨季の21年は12試合で無得点だった。

J2降格した今季は、ここまで5試合に出場。無得点ながら、3月13日のリーグ戦第4節・水戸ホーリーホック戦では「27秒後アシスト」で話題を呼んだ。2-2の後半38分から途中出場。ファーストプレーとなった左CKのキッカーを務めると、桐光学園の後輩・FW小川航基(25)のドンピシャのヘディングをお膳立てした。

プロのキャリアをスタートした横浜M(現横浜)時代には、22歳で史上最年少MVPを獲得。セルティックでは、06-07シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)で、名門マンチェスター・ユナイテッド相手に、鮮やかなFKを2本も決めた。名手の元オランダ代表ファン・デル・サールからネットを揺らした。数多くの感動をその左足から、生み出した希代のレフティー。惜しまれながらも、日本のファンタジスタがユニホームを脱ぐ。

◆中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日、神奈川県横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園を経て97年に横浜M(現横浜)に入団。02年にセリエAのレッジーナに移籍。05年からはスコットランド1部リーグのセルティックでプレー。その後、スペイン1部リーグのエスパニョールを経て、10年に横浜に復帰。17年から磐田。19年7月から横浜FC。00年と13年にJリーグMVP。日本代表として06年W杯ドイツ大会、10年南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ通算98試合24得点。178センチ、71キロ。