「燃える闘魂」のキャッチフレーズで昭和、平成のプロレスブームをけん引し、参院議員も務めたアントニオ猪木(本名猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日午前7時40分、心不全のため自宅で死去した。79歳。マネジメント会社が明らかにした。2020年に心臓の病気「心アミロイドーシス」を患っていることを公表。動画投稿サイト「ユーチューブ」で闘病の様子を配信した。リングで国会で、日本に元気を発信してきたカリスマは人生の闘いをまっとうした。
プロレスの枠にとどまらず、幅広い活動で多くの人に勇気を与えたアントニオ猪木さんが亡くなった。
心臓の病気「心アミロイドーシス」を患っていた猪木さん。体調を気遣い、ここ2カ月、自宅で身の回りの世話をしていたものまね芸人の原辰(はら・たつ)がサンケイスポーツの電話取材に応じ、最期の様子を語った。猪木さんは9月29日、体調に異変を感じて往診を受けた。同30日夜、「今までと(体調が)違って不安で落ち着かない」と訴え、安定剤を服用。10月1日午前6時50分ごろ、ヘルパーから原辰に「息をしていない」と連絡があった。午前8時ごろに自宅に到着した原辰は、猪木さんの最期を看取ることができなかったという。
猪木さんは中学の時にブラジルに移住。遠征した力道山の目に留まり、17歳の時に日本プロレス入団。力道山の死後、ジャイアント馬場とのコンビでプロレス人気を復活させた。
1972年に新日本プロレスを設立。得意技の「延髄斬り」などを駆使し、悪役のタイガー・ジェット・シンとの抗争や日本人トップ同士の対決、柔道や空手など他の格闘技の一流選手と対決する「異種格闘技戦」など斬新な企画に挑み、注目された。プロレスでは「燃える闘魂」のキャッチフレーズの通りに熱い闘いで魅了。「元気ですか!」「1、2、3、ダァー!」などのパフォーマンスはリングを超えて浸透した。
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2022-10-01 20:00:01Z
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