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Thursday, May 28, 2020

【家族がいてもいなくても】(642)コロナ後の選択肢 - SankeiBiz

 お出掛けが自由になって、ほっとしたら、5月も終わりに。長い自粛の日々だったなあ、と思う。

 その間、隣人たちと「お互いここに来ていてよかったね」などとしきりと言い合っていた。

 なかには「今、やっとそう思えたわ」と言う人もいて、「後悔していた人もいたのね」と複雑な心境になったりもした。

 思えば、私は長く在宅で親の介護をしてきたが、両親は最期の数年を近所の有料老人ホームで過ごした。その間、取材などで年中、私は聞かれ続けた。

 「ご両親を老人ホームに入れた理由は?」と。その度に、「入れたんじゃなくて、選んだんです」と言い続けてきた。

 高齢者施設というのは、年をとったら誰かに「入れられちゃう」ところと世間は思っているらしく、これは悲しすぎると思った。

 そんなわけで、自分は身体も心も元気で自由なうちに、気に入った場所を見つけて、どんな遠くの地方でも行って、そこを自分の新しい人生の場所にして暮らしたいと思っていた。

 けれど仕事をしていると、東京と那須を新幹線で行ったり来たり。なかなか暮らしが落ち着かない。

 ところが、今回の緊急事態で、どこにも行けない日々が続き、もっぱら近くの「原っぱ」通いに、明け暮れて過ごすことになった。

 土を耕してみたり、種まきをしたり、野菜の苗を植えたり、収穫してみたり。

 そのような土と戯れる経験をしているうちに、急速にこの地が自分の心身に馴染(なじ)んできた。

 そして、「終の棲家(すみか)かも…」と思っていたこの場所が、次第に「こここそ終の棲家なんだ」との心境になってきたのだった。

 思えば、私が暮らす高齢者住宅は、ほぼ全員が自分の意志で、ここを選び、晩年の人生をここで暮らす、と自ら決めてやってきている人たちだ。

 その分、お互いが好き勝手に、わがままに暮らすことを容認し合っているコミュニティーだ。

 けれど、このコロナ禍のなかで、ともに引きこもって過ごしているうちに私は実感してしまった。

 ここを「終の棲家」と定めたことは、単に場所だけではなく、人生のラストステージをともに生きる人をも選び合った「運命の共同体」なんだなあ、と。

 今、コロナ後をどう生きていくのか、といろんな場所で問われているけれど、私たちもそうよねえ、と殊勝なことを思うこの頃だ。

(ノンフィクション作家)

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May 29, 2020 at 09:20AM
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