3月から調教師に転身する福永祐一騎手(46)が、JRAラストウイークを迎えた。来週末はサウジ遠征のため、今週土日が中央競馬でのラストライドとなる。連載「ジョッキー福永祐一と私」では2週にわたり、ゆかりの深い関係者が思い出を振り返る。

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福永騎手の誕生や活躍には、レジェンド武豊騎手(53)の存在は欠かせない。それは、武豊騎手自身も「オレのおかげじゃないかな(笑い)」と、ユーモアたっぷりに笑顔で振り返る。

8学年差の2人はともに競馬一家に生まれ、家も隣近所。幼少期から知る間柄で、福永騎手もジョッキーを志したキッカケに武豊騎手の存在を挙げている。

武豊騎手 最初はジョッキーになると思ってなかった。乗馬も全然やってないし、サッカーばかりやってたからね。でも、オレの活躍を見てね。隣の家のお兄ちゃんみたいなのが家の前にファンが来たり、オレがポルシェに乗って家に帰って「おおっ」とか(あいさつ)やってたのを見てね。それでジョッキーになったんだから、オレのおかげじゃないかな?(笑い)。

2世騎手としてともに切磋琢磨(せっさたくま)する中で、福永騎手の苦悩も近くに感じてきた。

武豊騎手 一時は結構、思い悩んでいるような時期は感じてたね。でももう完全に、その殻を破った。1頭1頭の向き合い方がすごい真剣。よく考えてる。レースも、馬のことも。感覚派じゃなく、理詰めでいくようなね。オレは相談を受ける存在ではなかったけど、逆にどうやったらオレに勝てるのかというのをずっと考えてたんじゃないかな。だから、オレのおかげなんですよ(笑い)。

福永騎手との思い出のレースには、キズナで制した13年ダービーを挙げる。福永騎手はエピファネイアで半馬身差の2着だった。

武豊騎手 あの時は相当へこんでたね。でもあの後にダービーをワグネリアンで勝って、そこから3勝。あのエピファネイアがあってだと思うし、オレのおかげですね(笑い)。

最後に、武豊騎手は“福永調教師”のイメージをこう想像した。

武豊騎手 こういう感じでトップジョッキーのまま、大活躍のまま調教師に転身というのは珍しいこと。もともとクレバーで、しかもジョッキーとしてこれだけの実績と経験があるわけだから。今までにない調教師になるかもしれないね。【奥田隼人】