【私たちの選択肢】アラサーイケメンゲイを自称するライター・富岡すばる 前編
人生に行き詰まると、わたしたちは目の前の世界しか見えなくなります。そんな時、知らない世界や知らない誰かの人生を知ると、すこし気持ちが楽になったりします。人はいくつもの選択肢をもっている。そして自由に生きることができる。このインタビューは、同じ世界に生きている"誰か"の人生にフォーカスをあてていきます。
ゲイだと確信を得たのは中学校の卒業式
「自分がゲイだと確信を得たのは中学校を卒業した後でした。仲の良い友人への想いは友情ではなくて恋だったのだと気づいたんです。」
"イケメンと歌姫が好きなアラサーゲイ"を自称するライター・富岡すばるさん。今でこそライターとして自身の体験や意見を言語化されていますが、現在にいたるまでは常に死にたい気持ちとの戦いだったと言います。
小学生のころからなんとなく「男性が好き」だと気づいていた富岡さん。当時は「友達として好き」というニュアンスが大きかったので、自分の気持ちにそれほど違和感を持っていなかったそうです。
「誰もが同性にときめきを覚えると思っていたんです。だからなんでもない日常会話として話題に出したのですが、"そんなことありえないでしょ!"って言われてしまったんです。その日から、"この気持ちは口に出してはいけないんだ"と気づきました。」
中学校の卒業式、富岡さんは仲の良い友人への想いは友情ではなくて恋だったのだと気づきます。初恋でした。今のようにLINEやSNSがない当時、気軽に連絡をとる手段はありません。彼と富岡さんとは別の高校へ進学します。好きな人にはもう一生会えない、恋愛に発展することもできない。自分の恋はこれで終わりだ。その苦しさを誰にも共有できないまま高校生になった富岡さん。苦しさがさらに加速することになります。
「恋愛の話題は出るものの、中学生では実際に付き合ったりする人は少なかったんです。だけど高校生になると、好き同士は付き合うことが当たり前でした。みんないちばんの関心事は恋愛。でも僕は好きな人の話しが一切できないし、男性が好きなんて絶対に言えない。自分は完全に取り残されたなと思いました。」
学校内では同じセクシュアリティを持つだろう人にも出会ったそうですが、お互いに察しあっているだけで一歩先に踏み込むことはしませんでした。
「不思議なことになんとなくわかるんですよね。だから探り探り会話をするんですけど、お互い確信を得る言葉にはできませんでした。違ったらこわかったのもあるけれど、それ以前に僕自身が"自分はゲイだ"と受けいれていなかったからです。」
自分の胸をいちばんに動かす衝動やときめきを誰にも話せない。そのもどかしさは富岡さんが心に蓋をするのには十分な理由でした。
ハタチになる前に死のうと考えていた
「みんなは楽しそうにしているのに、自分は誰にも本当の気持ちを話せない。10代はとにかく毎日が苦しかったです。こんな生活がずっと続くのならば20代になっても楽しい人生のはずがない。だから10代のうちに楽しいことができなかったら死のうと決めていました。」
転機はバイト中に訪れました。コンビニでバイトをしていた富岡さんは、休憩中とある雑誌に目を奪われます。ゲイバー特集号の女性誌でした。
「初めてゲイバーの具体的な情報を知りました。女性誌だったので買うことにためらいもありましたが、自分でレジを打てば誰にも知られずに買えたんです。なにかが変わるチャンスだと思いました。」
いざ雑誌を買ってはみたものの、実際にお店に足を運ぶ勇気は出ませんでした。
人見知りの富岡さんにとって、知らないお店、しかもゲイバーにひとりで行くことは高いハードルです。店に行くのは最後の砦。足を踏み出せないまま、せっぱつまった富岡さんはインターネットである単語を検索をします。
「初めて「ゲイ」という言葉を検索してみたんです。自分が認めたくない事実を自分の手で打ち込むのはつらくて、自分は終わったなと感じました。だって、それを調べたら自分がゲイだと認めることになってしまうから。打ち込んで検索ボタンをクリックするまで、ゲイという単語を目に焼きつけられた気持ちでした。」
最初に出てきたのはアダルトサイトでした。思わずクリックした動画は、きれいでかっこよくて胸がときめいたそうです。と同時に、ときめきと同じぶんの罪悪感がのしかかりました。"自分が欲しているものは性的な行為に直結している。"富岡さんは自分の欲望を汚らわしく感じました。だけど、自分にとっては必要なものだともわかっている。その葛藤は富岡さんの心をますます追い詰めました。
いよいよ20歳まであと一ヶ月。タイムリミットまで時間がありません。「どうせ死ぬならば、死ぬ前にやりたいことを片っ端からやろう。」そう決めた富岡さんは1週間バイトの休みをとって、やりたいことのリストを作りました。
「今までやりたかったけどできなかったことを、1週間で全部やろうって決めたんです。最初は、コンタクトにするとか香水を買うとか、些細なことが多かったです。」
そして7日目、最後の日に足を運んだのはゲイバーでした。
初めて、好きな男性のタイプを言えた
富岡さんが選んだのは、30代以降がメインターゲットのスナックのようなお店。たくさんの人がいて大声で盛り上がる場所が苦手だったからです。
「お店のドアを開けた瞬間、とても驚かれました。10代がひとりで来るようなお店ではなかったんですよね。だけど、ゲイバーデビューならいろいろ紹介するよって歓迎してくれて、その日はそこにいたお客さんに、いろんなお店に連れていってもらいました。」
これまでは言葉にすることもこわかった自分のセクシュアリティを話しても誰もひきません。当たり前のように会話が流れていきます。どうせ死ぬならばと思って足を踏み入れたゲイバーで富岡さんは「まだ死ねない」と感じたそうです。
「生きていて良かったって思いました。"自分はゲイです"と口に出しても人間関係が築ける場所を初めて知りました。その日、生まれて初めて好きな男性のタイプを人に声に出したんです。僕はこの日のことを一生忘れません。」
最後の砦だったゲイバーは、自分の人生を取り戻すきっかけでした。しかし、それでもまだ恐怖のほうが大きかったそうです。19年間で刷り込まれた"普通"は、なかなか振り払えません。ですが、自分で自分を抑圧してきた蓋を少しでも払いのけたいと思うようになりました。
「その日、僕の人生がやっと始まりました。」
自分のセクシャリティを認めることができたすばるさん。しかし、今度は別のコンプレックスに悩まされるようになります。後編では整形手術を受ける決心、自身が受けたゲイ差別とフェミニズムの深い繋がり、そして現在の富岡さんの願いについてお聞きしていきます。
富岡すばる
ライター。10代の頃は自分がゲイであることを受け入れられず、陰鬱とした日々を過ごす。その反動で20代はゲイバーやSMバーで遊びまくり、やがて数度の整形を経験。その後ゲイ向けデートクラブを経て、ゲイ向け風俗店に勤務。30代の現在はそれらの経験を元にライターとして活動している。ゲイとして感じた生きづらさと、男性として感じた特権性を二本柱に、今日も“性”と向き合う。
文・成宮アイコ
朗読詩人・ライター。機能不全家庭で育ち、不登校・リストカット・社会不安障害を経験、ADHD当事者。「生きづらさ」「社会問題」「アイドル」をメインテーマにインタビューやコラムを執筆。トークイベントへの出演、アイドルへの作詞提供、ポエトリーリーディングのライブも行なっている。EP「伝説にならないで」発売。表題曲のMV公開中。著書『伝説にならないで』(皓星社)『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)。好きな詩人はつんくさん、好きな文学は風俗サイト写メ日記。
写真/しらたま あんず
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